2004年12月 アフリカへの旅立ち
アフリカを初めて訪れたのは2004年12月、南アフリカ共和国でした。到着したときの印象は「あまり日本と変わらないなぁ」というものでした、周囲にいる外国人の数以外は…。
大学を卒業してから、私は中学や高校で数学の非常勤講師として働いていました。その傍らで、大学時代からずっと塾講師として主要5教科を教える日々を過ごしていました。
毎週朝から晩まで働き通しだった20代の私…、将来の目標もなく、どう教えたら生徒がしっかり勉強する習慣を身に付けられるかだけを考える日々を過ごしていました。そのおかげで学校でも塾でも、周囲の教員からその指導方法が認められ、一定の成果も出るようになってきましたが、どこか空疎感を覚えるようにもなりました。
すると、ふと自分の頭に「教員としてある程度のレベルまで達したから、一度違う世界を見てみたい」という思いが強く湧き上がってきたのです。そのとき、以前大学の友人がワーキングホリデーを使って、オーストラリアで英語を勉強しながら様々な経験をしていたことを思い出しました。そして、通りがかった本屋で早速その関連本を購入し、ささっと目を通していきました。
そのとき、私の目の前に「青年海外協力隊」の文字が横切りました。よく読むと「海外で自分の経験を生かした活動をしながらお金がもらえる」ということが分かり、教え方に自身のあった私は受験を決心しました。当時は、国際協力に興味も感心も全くなく、その活動の重要性に対する意識も薄いままでしたが、偶然にもすんなりと合格しました。
合格した際に同封された要請書には「南アフリカで学校教員に対する指導」という業務が書かれていました。このときは正直自分が生徒に教えられないことを残念に思いながらも、教員に自分の教え方の一部を伝えることで、見える結果を出していきたいという気持ちが強くありました。その気持ちは派遣後に打ち砕かれることになるのですが(苦笑)
派遣前には、二本松訓練所で英語や国際協力等の研修を受け、心技体の全てを仲間とともに高めました。もっとも、私はそれほど真面目に取り組んだとは言えず、また自信過剰な面を前面に出していたことで、それほど周囲に溶け込めず、ただこなしただけという感じでした。
その訓練が終わり、同期の仲間たちとともに南アフリカに飛び立ったのでした。これが現在まで続く国際協力への関わりの始まりとなった、20代の終わりの話です。
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